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仮想空間で暮らし、働き、学ぶ

没入型テクノロジーで薄れつつあるリアルとバーチャルの境界 

(画像:dotschock/Shutterstock.com)

 

これはボストンにある最先端の大規模タワーマンションでのこと。完成を間近に控えたこのマンションに、建設プロジェクトの建築と設計の最高責任者たちが初めて入り、上層階へ向かった。そして広々とした一室に足を踏み入れたとき、恐ろしい光景が目に飛び込んできた。その部屋の大きな窓からは隣のマンションの中が丸見えだったのだ。つまり、隣のマンションからもこちらが丸見えということだ。最高級マンションの潜在顧客はこだわりが強く、こんなプライバシーの侵害には到底納得しない。上層階の窓の角度を変えなければならないが、それには32階建ての建物の構造そのものを変えなくてはならないだろう。

建設が進んでからの大きな変更は、すべての建設業者にとって悪夢である。変更には莫大な費用がかかり、工期の遅れも避けられない。しかし、このケースでは、建物の修正作業は数時間で終わり、費用もごくわずかだった。なぜなら、このプロジェクトはまだ着工前だったからだ。上層階の内覧会はすべてVRで行われた。建物はコンピューターを使って計画どおりに3Dでシミュレーションされた。設計チームの中心メンバーにはヘッドセットが配られ、メンバーはそれぞれ勤務先のオフィスからリモートで参加した。

VR(仮想現実)と没入型現実は、コンピューターが作り出した空間に物理的にいるような感覚、そしてその空間やモノと相互作用するような感覚を与える。画面の向こう側の世界に足を踏み入れるような感覚とでもいえばいいだろうか。中には現実と錯覚しそうなくらいリアルな3Dシミュレーションもある。こうしたシミュレーションでは、通常、特殊なハイテクゴーグルなどの周辺機器を使って、これまでずっとSFの領域でしかなかった人工的世界で圧倒的な感動と驚異の冒険を体験することができる。

その一方で、没入型現実はより身近な用途でも活用されている。物理的に離れている人たちが仮想空間の部屋や環境に集まって、互いに協力しながら学び、アイデアを共有し、発見し、問題を解決し、近況報告している。その参加者を引き込み啓発する力は、電子メールや電話、Zoomミーティングとは比べものにならないほど強い。没入型現実ソフトウェア会社、Spatial Systemsのバイスプレジデント兼事業責任者のジェイコブ・レーベンシュタインは次のように語る。「Zoomミーティングでもコミュニケーションは取れます。でも、VRでは平たい画面では得られないつながりが得られます」。

ここ数年で、没入型現実のハードウェアとソフトウェアは洗練され、粗削りで漫画のような模倣から脱皮した。実際に共同作業するような感覚で使えるようになったのだ。価格的にも手頃になり、ほとんどの雇用主にとって利用しやすくなり、一般消費者でも利用する人が出てきた。周辺機器がさらに進化し、価格がもっと下がれば、このテクノロジーを使いこなす人と組織が増える。そうなると、人々の働き方、学び方、打ち解けた交流のあり方が大きく変わる可能性がある。没入型現実は、すでにビジネス、教育、医療など、さまざまな社会的分野に影響を与えている。そう遠くない将来、多くの人が一日の大半をこの媒体で過ごすようになるかもしれない。

 

さまざまな没入型テクノロジー


没入型現実には主に拡張現実(AR)と仮想現実(VR)の2つの形がある。AR体験では現実世界を見続ける。ただし、その現実の環境には仮想オブジェクトと情報が重ね合わされている。これは世界中で大人気となった「ポケモンGO」でおなじみの技術だ。このゲームでプレイヤーはスマホのカメラを通して周囲を見回し、そばに潜むモンスターを見つける。

ARにはもっと実用的な用途もある。ARは、付近のレストランや友達の位置、修理が必要な機械部品を示したり、会議中に出席者の名前と役職、重要製品を表示したりできる。周囲のさまざまなものに注記や解説を表示することで、有益な情報を知らせてくれるのだ。それを全部スマホで見るとなると大変かもしれないが、すでにFacebookやレノボなど、多くの企業から「スマートグラス」の試作品が登場しており、数年後にはスマートグラスでARを体験できるようになるだろう。先進的ARシステムを開発中のEyeWay VisionのCEO、ニキル・バルラムは次のように語っている。「想像できるものは、何でも簡単に目の前に表示できます。しかも、周囲の環境はそのまま見え続けます。だからその物体の周りを歩いたり、机の上のコーラを手に取って飲んだりできます。いずれリアルの参加者と世界各地のリモート参加者の分身が同じ部屋に集まって、皆で一緒にいるような感覚でミーティングできるようになるでしょう」。

一方、VRでは、通常ヘッドセットのような小さなディスプレイ付きのゴーグルを装着し、現実世界から視界を完全に遮断して、投影された疑似世界を見るため、より包み込まれるような感覚の体験になる。ヘッドセットにはセンサも搭載されており、頭の位置の変化を追跡し、動きに応じて視界を変え、本当に360度見回すような感覚を与える。疑似世界に共にどっぷりと浸る感覚に加え、ハンドヘルドセンサによってその場面に手を伸ばして仮想オブジェクトをつかんだり、ボタンを押したり、同じ仮想空間にいる仲間と身振りでコミュニケーションを取ったりできる。その間、ヘッドセットに搭載されたマイクロスピーカーからは、臨場感のある指向性音響が流れる。

コロナ禍で大勢の人が出社できなくなり、コンピューターの画面越しに協力して働く中、バーチャルミーティングの潜在的価値が認識された。しかし、同時に欠点にも気づいた。バーチャルミーティングでは、皆、必死に周りを見ず、小さな画面に集中しようとするが、こうした不自然なやり取りにずっと集中するのは難しいということだ。最先端のVR研究を行っているカーネギーメロン大学・電気コンピューター工学部のアンソニー・ロー教授は次のように語っている。「パンデミックは仮想技術とZoom疲れを促しました。四角い枠で仕切られた平らな画面、そこにずらりと並んだ顔をひたすら眺める、こんなバーチャルミーティングは、今すぐテクノロジーの力で変えるべきです。二次元の交流は人にとって不自然なのです」。

対照的に、VRでの共同作業では、共有空間で他の参加者たちとしっかり交流している実感が得られる。確かにVRミーティングの環境はやや漫画チックで、参加者も「アバター」で登場するので、リアルに見えないかもしれない。しかし、アバターには立体感があり、参加者本人と似せることができる。参加者の動作、場合によっては表情も真似できるので、ほとんどの参加者はこうした欠点をすぐに乗り越えられる。

 

広がる建設業界でのVR活用


VRは、リアルの会議室では不可能な設定やオブジェクト、抽象データを3Dで表示して共有できるので、実際に顔を合わせるミーティングよりも豊かな交流をもたらすことがある。Spatialのレーベンシュタインは次のように語っている。「VRルームでは、向かい合って座りながら、モデル、ビデオ、ホワイトボードを表示できますが、これらは普通の画面共有よりもずっと効果的です。ビジネスミーティングでも、懇親会や会議でも、参加者をぐっと引き込む力があります」。

業界調査会社のIDCによると、VRハードウェアおよびソフトウェアのビジネス市場は、ほんの数年前までゲーム市場に比べると取るに足らない規模だったが、上記の理由から、2024年にはVR市場全体の半分を占めるようになるという。市場調査会社Forrester Consultingの調査では、全企業の半数が2年以内に没入型現実の導入を計画していることが明らかになっている。

建築・土木・インフラ(AEC)業界は、VR活用の導入で他業界を大きくリードしている。この業界は、建設プロジェクト計画で3D仮想モデルに長年頼ってきたため、VR導入はそれほど大きな飛躍ではないかもしれない。しかし、今ではVRミーティングを活用して、チーム全員でモデルの中に入り、正確な3Dで見られるようになり、さらに建物の中を歩いて潜在的な問題点を指摘し、変更案を試せるようになった。たとえメンバーが世界各地のオフィスや自宅に散らばっていても、話し合いながらこれらを全部できるようになったのである。「VRは地理的距離を劇的に縮めてくれる」とEyeWayのバルラムはいう。

こうした理由から、上海のEnneadからオランダ・デルフトのMecanooまで、世界中の大手設計建設会社は技術的な共同作業はもちろん、それ以外の作業にも没入型現実を活用している。たとえば、世界各地に生産拠点を持ちインテリジェントオートメーションシステムを製造しているValiant TMSは、英国タムワースにあるTheorem Solutions社のVRソフトウェアを使って、オーストリア、インド、カナダ、メキシコのエンジニアを集め、システム設計の検討会議を行っている。「特に海外出張が禁止されているコロナ禍で、有効性が証明されました」とTheoremのキャサリン・エドモンズは語る。

ボストンのタワーマンション・プロジェクトは、ロードアイランドのOdeh EngineersとボストンのStantecの設計工学の専門家による共同プロジェクトで、VRを活用して窓のプライバシーの問題を発見した。あるメンバーは、VRモデルの配電室に「歩いて」入るときに、頭(といっても、アバターの頭)を低い梁にぶつけた。そのおかげで、建築基準法に違反する重大な欠陥があることに気づいた。

建築土木分野では、VRによって多額の費用を節約した実例が報告されている。あるチームは、フロリダの高校建設プロジェクトでVRミーティングを活用し、数十個の潜在的問題を迅速に解決して、32,000ドルを節約できた。VRミーティングを活用していなければ、問題を調査し、詳細情報を共有し、全員そろって解決する必要があり、工期の遅延は必至だっただろう。イギリスの公共事業会社Anglian WaterもインフラプロジェクトでVRを導入し、多額の経費を節約した。また、20憶ドルを投じたノルウェーの地下鉄新路線建設プロジェクトでは、監督当局が2カ国の4つの事業者から専門家を集め、VRで調整会合と目視点検を行った。これにより複数の問題が早期に発見され、大幅な予算超過と工期の遅延を免れた。

グローバルな建築会社GenslerでもVRミーティングで全28拠点を結び、毎週プロジェクト検討会を開くことで、高い生産性を実現している。また営業会議にもVRを活用しているほか、VRモデルを利用して設計者と建設技師がさまざまな照明や素材が建物の外観に与えるインパクトを確認し、従来の仮想モデルや模型ではつかみづらかった実寸大の建物や各要素の印象を把握できるようにしている。 建築用VRツールのベンダー、The WildのCEO ゲイブ・パエスはこう語っている。「これはもはや多くの人にとって仕事に欠かせないツールとなっています。もう手放せないでしょう。5年後の新入社員は、この業界で2D画面を使っていたことを、とんでもない時代といって振り返るでしょう」。

 

その他の業界での活用例


建設以外の業界でも、製品設計者とエンジニアはさほど後れを取らずにVR活用を始めている。玩具メーカーのマテルでは、遠隔地のデザイナーたちが定期的にVR会議室に集まり、3Dモデルを使って新製品の細部を詰めている。そしてデザインを製造する準備ができると、デザインチームとそれを生産する工場(主に中国)の製造技師がVR会議室に集まる。このとき、製造技師は製造コストを下げ、生産速度と品質を高める代替案を提案することができる。

航空宇宙会社のロッキード マーティンは、デンバーの拠点で世界最大級のVR設計実験室を運営している。ここでエンジニアとマネージャーは、人工衛星から宇宙船まで、あらゆる製品の設計を練り上げる。モデルでシミュレーション性能テストもできるので、小さな物理模型を作る前に、航空機の空気力学や耐熱性、ストレス抵抗の最適化をすべて行うことができる。

VR活用の利点は設計士やエンジニア以外にも及ぶ。コロナ禍でバーチャルミーティングの価値に気づいた多くの組織は、今、仮想空間での対話をもっと違う用途でも活用して利点を引き出す方法を模索しているが、VRはますますその期待に応えている。グローバル企業のロイズ・バンキング・グループやイケアは、求職者と新規採用者に対してVRで面接や新人研修を行っている。金融サービスのソシエテ・ジェネラル・グループは、金融アナリストと顧客が仮想空間で集う機会を設けている。サンフランシスコに拠点を置くバイオデータ分析会社のLarvolは、すでに必要最小限のオフィスのみを残し、14カ国にまたがる数百人の全従業員に対し、あらゆる共同作業をVRで行うようにすでに奨励している。

VRで新しいタイプのオフィスを作れば、多くの組織が自由を享受できる、とレーベンシュタインは主張する。「毎日オフィスに通うことは、一体感、ブランディング、つながりの強化には役に立ちます。でも、物理的な空間を刺激的な場所、たとえば美術館やキャンプ場、緑の牧場などに変えるのは難しい。それがVRなら簡単にできるのです。刺激的な空間に一緒にいることで、共に働く社員とのつながりを強化することができます」。

大規模会議の開催者もVRを活用している。VRなら物理的に離れていても出席できるし、現地の出席者と同じくらい引き込まれる体験ができる。その好例が、世界最大の技術専門家組織、IEEEのVR分科会が2020年に開催したオンライン会議だ。この会議では、すべての基調講演、会合、そして交流会に完全VRアクセスが提供された。

企業では研修への活用もすでに進んでいる。ステートファーム保険は、査定者の研修にVRを活用している。洪水被害を受けた家屋の保険調査研修では、参加者が仮想空間でキャビネットの扉を開いて家具の下をのぞき、隠れた被害を見つける方法を学ぶ。ウォルマートの従業員は、仮想空間でバーゲンに押し寄せる大勢の買い物客に対応し、本番で圧倒されないようにしている。経営コンサルティング会社のPWCは、全米の管理職者にハイレベルな意思決定トレーニングを行っているが、VRプログラムの修了者は、通常のオンライン形式のコース修了者よりも、同じ科目のテストで35%成績が高いという。国連、UPS、タイソン・フーズもVRを使った研修を実験中だ。バルラムは次のように語る。「平たい画面でも学べるが、飽きてしまう。学びは情報と一緒で、いかに興味をもってやり取りするかが大切。だから没入型テクノロジーの方が適しているのです」。

 

変革を実現する


この分野で次に大きく飛躍するのは、アバターのリアル化だろう。参加者にそっくりなアバターがVR空間で集い、表情の変化まで完全に再現するようになるだろう。カーネギーメロン大学のロー教授の研究室では、すでにヘッドセットにカメラを取り付けて着用者の表情を捉え、アバターに反映される研究に取り組んでいる。

ロー教授によると、今後ヘッドセットには顔の筋肉の動きを捉えるセンサが搭載され、アバターの表情はさらに洗練される。さらにアイトラッカーも搭載され、ユーザーがどこを見ているかわかるようになるという。「特に目を合わせるときなど、相手が見つめている方向がわかればリアル感が増します」。アバターの領域では他にも、オンライン接続の高速化とプロセッサの強化によるアバターの解像度アップ、なめらかな動き、ユーザーの動きがアバターの動作に反映されるまでの時間の短縮といった大きな改善が期待される。

没入型テクノロジーが進歩するにつれ、より多くの人に受け入れられるようになる。それが私たちの仕事と生活をどう変えるかを予測するのはほぼ不可能だ、とバルラムはいう。「私たちがこれまでやってきたことは、ほとんどが今までのやり方を無理やり新しい環境に当てはめることでした。これらのツールの利点を本当に生かすにはどうするべきか、今はそのことを一から考え直す必要があります」。